字を書くことの『本質』
こんばんわ。リタです。
先日、ボケーっとテレビを見ていたんですが、
郵便の送り状を上手く書けないっていう、
CMだったか企画だったか忘れちゃったけど、そんなニュアンスのことを目にしました。
そういう人のために、入力した文字を送り状にプリントしてくれるサービスができたそうで。
ゆうパックだったかな。
なんだかどんどん『文字離れ』していくなぁって感じました。
厳密には文字離れではなく『筆離れ』って感じなのかな。
とにかく文字を書くことからどんどん離れていくなぁって。
私は字が上手いとはお世辞にも言えませんが(かなりの癖字)文字を書くことが好きで、無心になりたい時とか思い付いた字をノートに書きます。
字って人となりを写す鏡みたいなものだと思っていて、私は人の字を見るのも好きです。
その人の人間性が出るものなので、汚い字でも綺麗な字でも観察しちゃいます。
無意識に文字を情報として処理してるんだと思います。
言葉はウソを付きますが、字はウソをいいませんから。
字を書かないように、書かないように、時代は進んでますが、敢えて私は留まろうと思います。
なぜなら字を書くことは『自己表現』であるから。
人のことを知りたいと思うのに自分のことを知らせないのは、些か卑怯な気すらします。
自己表現、自己開示の先に、人と人を繋ぐ縁が生まれるのではないでしょうか。
自分を出してくれない人間にアナタはどこまで付き合えるのでしょう?その関係を信頼できるのでしょうか?
私は絶対に無理ですね。
ニーズがあるからサービスとして成立するんでしょうが、
正直今回の送り状サービスはやり過ぎな気がしますよ。
それが最先端で楽で扱いやすいから需要があるんだろうなぁと思います。
でも、そのサービスがどんどん人間という生物を駄目にしてる気がしてならないのです。
「字が汚い人には最高のサービスだ!相手にも失礼にならない!」
という反論が起きそうですが、それは論点がズレています。
汚い字でも丁寧に書けば思いは伝わります。
綺麗な字でも雑に書けば人間性が出ます。
大丈夫ですよ。
字は綺麗、汚いじゃないんです。
その本質は『想い』ですから。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。